おまきざるの自由研究

好奇心の赴くままに

普段着の食事を思い出せないのは幸せなことなのかもしれない

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35年前の忘れていた記憶

2年前,子どもが成人式を迎え,その御祝いに仙台の実家から親がきてくれたときの話です.  

みんなで食事してる最中,私がちょっと中座して戻ってくると親が神妙な顔つきで下の子に何やら語っていました.

「あんた=筆者が中学のとき,家に一人で生活してた(時期があった)ことを話してたんだよ.あんとき婆ちゃんは家に帰れなくてお父さん=筆者,全部自分でやってたんだから,あんた=下の子も自分のことは自分でできるようにならなくちゃ」

 

・・・わりとヘビーなことをさらっと語っていました.

「でもそんなことあったっけ?」

35年前の出来事を俄には思い出せませんでした.

父の他界,兄の事故,そして僕は一人になった

記憶のネジをすこし巻き戻します.

私が小学4年生の頃から父は入退院を繰り返してました.

最後に家族4人揃って家でごはんを食べたのは小学校6年生だった宮城県沖地震の直後.父の体調が戻ったからではなく,地震のせいで病院側がケアできなくなったためです.

家のほうはと言えば倒壊はまぬがれ電気・水道は復旧したもののプロパンガスの供給は滞ったまま.そんな最中,父はどこからか入手してきた小型プロパンでご飯を炊いてくれました.近所の銭湯が営業再開したと聞きつけて一緒に風呂に入ったこと,父の胸から背中にかけて刻まれた50cm以上の手術痕がひどく生々しかったことなどを覚えています.

ほどなく病院機能が復旧し,父は再び,そして最後の入院生活に戻りました.


父の病状の悪化にともない,母は病院で寝泊まりするようになりました.母不在の間,家には兄がいてくれたほか,親戚も交替で世話に来てくれました.それでも母はたまに帰ってきては滞っていた家事を片付けていました.男兄弟はほんと役立たずだとつくづく思います.

 

小学校の卒業式が終わって間もなく,私だけ母の古い友人宅にあずけられました.父が予断を許さない状況に陥ったからです.卒業式のみならず中学の入学式にも母は来ませんでした.

いつ終わるのか先の見えない生活が3週間ほどたった4月中旬のある日,夕食後の団らんに皆で日曜洋画劇場(だったような)のタワーリング・インフェルノを見ていると黒電話が鳴りました・・・

 

父が他界した知らせでした.

すぐ病院に駆けつけ,灯りの消えた真っ暗な廊下を病室へたどりつき・・・もろもろの手続きを終え,物言わぬ父と一緒に家族全員で自宅にもどりました.

父がいなくなったのは悲しかったです.でも正直言って「これでやっと家に帰れる」と思いました.

 

それから母一人子二人の生活が1年数ヶ月たったある日,今度は兄が事故に遭って入院しました.母は兄に付き添うため,またもや病院で寝泊まりするようになりました.

 

私はと言えば,今度は家での一人暮らしを余儀なくされたのです.

覚えていたのはトンカツとラーメンだけだった

ここで冒頭の成人式の日の会話に戻ります.

婆と孫が会話してる間,それなりに相づちを打ってはいましたが私の思考は

「当時の記憶がほとんど残ってない,なぜだろう?」

という疑問でほぼ埋め尽くされていました.何しろ一人暮らしの期間がどれくらい続いたのかすらろくに覚えてないのです.

ほどなくして料理が運ばれてくると,思考の矛先が当時の食事へと向かいました.

「あの頃,俺,何食ってだんだっけ?」

 

でも,いくら思い出そうとしても思い出せたのはたった2晩の夕食だけでした. 

家に私一人しかいなくなったその日,隣家の方がご飯を差し入れてくれました.トンカツでした.次の日も差し入れてくれましたがメニューは覚えてません.

3日目は生ラーメンでした.「麺は2〜3分茹でればいいからね」と言われたにもかかわらず,5分くらい茹でてしまったのでちっとも美味しくなかったです.

差し入れはそれが最後でした.

夕食の記憶はそれ以後ありません.思い出そうにも何も浮かび上がってこないのです.まるで記憶から消去されたかのように.

 

結局,「トンカツと生ラーメンの記憶しかない」という記憶だけが残りました.

 

「記憶」「抜け落ち」で検索すると,トップには『記憶が抜け落ちる解離性健忘』というページが表示されます.文章には何やら不穏な言葉が並んでます.『冷たく暗い家庭環境』『満たされない欲求』.

まあ傍目から見たら二つともばっちり当てはまります.でもそんなことのせいにしたくはありません.母は懸命にがんばってたんだから.

普段着の食事は覚えてなくてもいい

ここでふと思いました.

「じゃあ中1や中3の頃の食事の記憶はあるのか?」

覚えていることと言えば,お弁当のごはんとごはんの間に納豆をはさむようリクエストしたら食べるのにえらい苦労したこと,お弁当のおかずは前夜の鍋の残りでいいと言い張って詰めてもらったのはいいけれど脂が浮きまくってこれまたアカンかったこと,遠足のお弁当のおかずはいつも串カツだったことなど.

一方,日頃の食事の記憶はあんまりありません.

でも,それって可も無く不可も無い普段着の食事がいつもあったからだと思うんですね.


一人暮らしのときの夕食を覚えてない話を妻にしたら「そんなのお母さんが作りおきしといてくれたに決まってるでしょ!」と喝破されてしまいました.

出来たてほやほやの温かい料理じゃないけどいつもと変わらない味,あるいはスーパーのコロッケだったとしても千切りキャベツは必ず添えてくれてたはず.

ほか弁が置いてあっただけでも困ることはありません.だから家のなかで一人ぽつんと生活していても,夕食のことはとりたてて覚えておくことほどのことではなかったのでしょう.

逆に考えれば,事故った兄(あ!)のもとへ母が急いで家を飛び出して行ったときは本当に途方にくれていたのだと思います.だから隣のおばさんが差し入れてくれたトンカツと,そんなシチュエーションで生まれて初めてチャレンジし,あえなく失敗した生ラーメンの記憶だけは鮮明なのかもしれません(覚えてないけど夜は木刀抱えて布団に入ってた,と私が言ってたらしいです)

普段着の食事を思い出せないのはむしろ幸せなこと

子どもが産まれてから20年ちょっと,至らない点は多々あるけれどなんとか親をやってきました.

親の仕事で何より大切なことの一つは子どもに食べさせることだと夫婦で言ってます.

適当な料理しか作りませんし,総菜の出番も多いです.それがうちの普段着の食事.

でも子ども達を晩ご飯のことで途方に暮れさせたことはありません(「これはちょっと食えんわー」というのが稀にあるようですが・・・)

 

20年後,子ども達に「中2の頃,晩ご飯何食べてたっけ?」と訊ねてもきっと答えはかえってこないでしょう.なにしろ作った私ですらぜんぜん覚えてないのですから.

でもそれはきっと幸せなことなのかもしれません.

さて,今日の晩ご飯は何にしましょうかね.

ではまた!