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1949〜58年にかけての合計特殊出生率の急激な低下は優生保護法が原因:「少子化の原因が分かったので対策書く/書籍『失敗すれば即終了』の補足」への追記1

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はじめに

記事を昨日こんな記事を書きました. 

browncapuchin.hatenablog.com


そこでは書けなかったことがあります.1949〜58年にかけての合計特殊出生率の急激な低下についてです.

1949〜58年にかけての合計特殊出生率の急激な低下


私は,経済成長が医療の発展と医学の進歩をもたらしたことが乳児死亡率の低下(infant mortality rate=IMRは,生まれた赤ちゃんのうち1歳未満で死亡した人数の比率なので,本来は新生児死亡率と訳すべきですが,ここではRootportさんに合わせて乳児死亡率とします)につながり,結果としてリスクヘッジを考える必要がなくなった(すなわちより多くの子どもを産む必要がなくなった)ため,「合計特殊出産率の低下」をもたらしたと考えました.

つまり,合計特殊出産率が低下するためにはまず経済成長がある,というロジックです.

一方,Rootportさんは,合計特殊出生率低下の原因は経済成長ではないと考えています.その根拠の一つが,太平洋戦争後の急激な合計特殊出生率の低下です.

日本の高度経済成長は1955年から始まった。1960年代には東京オリンピックで戦後復興を世界に見せつけ、1970年代には押しも押されぬ経済大国の地位を手にする。80年代には日本企業が世界を飲み込むとさえ言われた。ところが、このような経済成長が始まる1955年の時点で合計特殊出生率は2.37まで下落していた。爆発的な経済発展よりも以前に、少子化社会への転換が進んでいたのだ。これは世間に流布している俗説に反する。少子化の原因が分かったので対策書く/書籍『失敗すれば即終了』の補足 - デマこい!より.


この点については,確かに経済成長では説明がつきません.Rootportさんがご提示なさった図をみればそれはよくわかります(赤の部分は私が加筆しました).

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実線が合計特殊出産率,破線が一人当たりGDPです.前者の落ち込みほどには後者は上昇していません.したがって,一人当たりGDPではこの間の合計特殊出生率の急激な低下は説明がつかないのです.

 

それなら,なにか他の理由があるんじゃないかと思い,手がかりを探すためRootportさんの記事に対するはてなブックマークに全部目を通しました.すると,takanqさんが「終戦後10年の日本に関しては、人口抑制政策(戦争での国土損失と戦地、植民地からの復員で人口密度が当時世界3位)と優生保護法での経済的理由の堕胎許可、厚生行政を中心とした家族計画の普及が大きいと思う。」と述べていらっしゃいました.

 

優生保護法

優生保護法については,そんな言葉を聞いたことがある程度しか知らなかったので,検索したところ,次の図がありました.これでほぼ納得できると思います.

 

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http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/monthly/pdf/0509_9.pdfより

戦後の合計特殊出生率の低下に最も影響を与えたのは,優生保護法と思われます.

優生保護法は,

1948年(昭和23年)に、優生保護法という名称で施行された。この法律は、戦前の1940年(昭和15年)に、国民優生法(断種法)に沿革を有するもので、国民優生法と同様優生学的な色彩が強い法律であり、不良な子孫の出生の抑制を目的とし、母体の保護はそのための手段という位置づけがなされていた。

もっとも、戦前の国民優生法においては、強制断種の条項に象徴されるように優生手術(不妊手術)に重点を置いており、中絶一般については否定的な立場をとっていたが、戦後の優生保護法においては、戦後の混乱(復員による過剰人口問題、強姦による妊娠の問題)を背景にし、妊娠中絶の合法化の手段のため優生思想を利用したという側面があった。母体保護法 - Wikipediaより.

とのことです.

1949年からの合計特殊出生率の急激な低下の最大の原因は人工妊娠中絶

須藤(2005)によれば,「人工妊娠中絶件数は1950年頃から急増し,1953〜1961年まで毎年100万件を超えた,同時期の出生数は年間160〜170万人であり,出生1件に対して0.7件前後の中絶があったことになる(資料2,注:上の図を参照).1950年代半ばからは避妊の普及もみられ,夫婦の望まない出生の抑制が一気に進んだ.」とあります.

1949年からの合計特殊出生率の急激な低下は,人工妊娠中絶が最大の原因のようです.10人の赤ちゃんが生まれてもそのうち7人が命を落としてしまうのなら,出生率が著しく低下するの当然です.そして,衛生面を考慮するなら病院・診療所の普及がなければ中絶もできませんので,経済発達にともなう医療の発展が出生率低下前に起きたはずです.その上で,優生保護法の名の下に人工妊娠中絶によって過度の人口増加が抑えられたのがこの時期だったとすれば,話はつながります.

また,Rootportさん作成の図と須藤(2005)作成の図の両方ともに示されていますが,1966年は合計得出生率がやたらと落ち込んでいます.これは,1966年が丙午だからです.高校生のとき,昭和41年度生まれの新入生女子がやたら少なくて悲しかった覚えがあります.これらの事例から,出生率には社会風潮も大きく影響することがわかりました.

というわけで,疑問が一つ解けました.合計特殊出生率に影響する要因はグラフを作って分析するだけではわからないこともある,ということが分かったのは大きな収穫でした.

 

なお,Rootportさんの記事にはもう一つ疑問点があります.それは次の記事をご参照ください.

 

引用文献

須藤一紀(2005)よくわかる日本の人口 夫婦の出生行動は安定しているか〜よくわかる日本の人口④【結婚と出産 その2】〜.第一生命経済研レポート 2005.9 http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/monthly/pdf/0509_9.pdf

 

ではまた!

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