おまきざるの自由研究

好奇心の赴くままに

『失敗すれば即終了! 日本の若者がとるべき生存戦略』を読んだ雑感

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たぶん書評ではありません.雑感が妥当かどうかもちょっとわかりません.

本を買いました.
読みました.

そして自分が思ったことを思うまま書きました.

 

かなり煽ってるタイトルですが,内容の多くは少子化問題についての考察です.

失敗すれば即終了! 日本の若者がとるべき生存戦略

失敗すれば即終了! 日本の若者がとるべき生存戦略

 

 

 書評はすでにらくからちゃさんがお書きになっていらっしゃいますので,ご参照ください.

www.yutorism.jp

 
ではまいります.

買うべきか,買わざるべきか

この本を税込み¥1,620出して買う必要があるかどうかと言えば,「人によって違う」と思います.著者のRootport(id:Rootport)氏は,はてなブログ『デマこい!』の管理人.Rootport氏のブログ読者で日頃から熟読している人ならたぶん買う必要はないでしょう.この本は著者のブログ記事のまとめだからです.でも,どの部分が本に取りあげられているかを知りたい人は買ったほうがいいでしょう.

一方,著者のブログを知らない人については,買ったほうがいいかどうかは正直微妙です.¥1,620出さずとも,著者のブログを読めばいいですから.ただし,2016年2月17日現在で553もあるエントリーから本にまとめられたそれぞれの記事を探しだすことは極めて困難です.でも不可能ではありません.「著者が考えた格差拡大・少子高齢化とは何か?」を知る利益(ベネフィット)を得るために,時間というコストを払うか,お金というコストを払うかが違うだけのことです.無論,知りたくもない,そんなの関係ない,という人は時間もお金も払う必要はありません.

ただし,格差拡大・少子高齢化を知らずに済むかと言えば,決してそうではないでしょう.この本を読んで私が得た結論は,「税金が高齢者に注ぎ込まれている現状を変えたければ,今を知り,自分たちで政治家を選べ」ということです.今を知るには,インターネットで検索すれば(上限はあるけれど)ほぼ無限の情報を集めることができます.しかしながら,情報を集めるだけでも膨大な時間がかかります.でも¥1,620出せば,軸に沿った思考と知識を短時間で得られます.コスト=ベネフィットに見合うかどうかは,一人ひとりが考えてみて下さい.惜しむらくは大型書店じゃないと本が置いてない可能性が高いことです.もし書店店頭で見かけたら手にとる価値はあると思いました.もし買うときはRootport氏のブログからポチっとしてくださいね.

 

 

第1章 『2050年,日本終了』の収穫は「興味深いのは,高所得になっても子どもは増えないこと」である


p.19 に,この本の最大の発見が出てきます.それは

「興味深いのは,高所得になっても子どもは増えないことだ」という一文です.

ただし,この発見は必ずしも著者のオリジナルとは言えません.

スプレイグ(2004)より引用します.

生物学者が特にこだわる点は,少子化が人類史上,最も裕福な社会で発生している点にある.生活が貧しいために出生率が低下してしまうのは合点がいく.ところが,裕福な人々ほど,子供の数が少ないのである.普通の生物ならば,食べ物が豊富になると出生率は高くなるはずではないか.生物は繁殖成功度を最大化するように進化したはずではないか.たとえ文明に染まった現代人であっても,生物の原理に完全に矛盾する行動をとることなどない,と生物学者は力説する.にもかかわらず,このヒトという奇異な生物は,自らの潜在的な繁殖力よりはるかに低いレベルでしか子孫を残そうとしていないのである.現代人の少子化は生態学の常識からかけ離れている,と生物学者は考えざるをえない.p.164より


ここでの裕福は高所得を意味します.p.165には,「職業と夫婦の子供の人数:イングランドとウェールズ,1911年(妻は45歳以上)」という表を用いて(原著は入手できませんでした),

そして当時から,裕福な社会階層から少子化が発展していった.(中略)農業労働者や炭鉱労働者の夫婦は子供の人数が約4.5人に対して,専門職(実業家,医師,弁護士などをさしているとおもわれる)は2.9人であったそうである.

と指摘しています.Rootport氏がいう「高所得になっても子どもは増えないこと」は,少なくとも20世紀初頭に始まっていた現象だったのです.

しかしながら,この点についての解答を人類学者も生物学者も人口学者もまだ得ていないようです.URLから推察するに,スプレイグ(2004)に先立つ1999年のものと思われますので,村山(1999)と表記します.こう述べています.

 

異常な生物;ヒト
「少子化」は、生物学的に見れば極めて異常な事態である。19世紀半ばにチャールズ・ダーウィンが突然変異と自然淘汰に基づく生物の進化論を唱えて以 来、生物の様々な行動や生態は、子孫をできるだけ多く残ためにあると意味づけられてきた。リチャード・ドーキンスは「生物=生存機械論」において、この考 えをさらにおしすすめ、あらゆる生物は遺伝子が自己複製するために必要な「生存機械」であると述べている。すなわち、餌をとる、縄張りを防衛する、捕食者 から身を守る、交尾する、子育てをするといった行動は、すべて自分の遺伝子をできるだけ多く次世代に残すことに結びついていると考えられる。少子化は、ヒ トの生物としての存在理由に反しているということができる。


少子化の原因

ではなぜヒトにおいて、少子化現象が起きているのだろうか。実は生物としてのヒトは、もともと多産には向いていない。効率のよい繁殖のために、生物の投資 する方向性には2種類ある。多くの魚のように、できるだけ多くの卵を生むことにエネルギーを投資し、世話はほとんどせず、子孫がわずかでも生き残ればよい という戦略と、栄養のある大きな卵を生むことや、育児に投資し、少数の子孫が確実に生き残ることを目指す戦略である。ヒトは後者の少数の子に手間をかける 生物である。

出典:生物学から見た少子化:URLはhttp://www.gpc-gifu.or.jp/chousa/infomag/gifu/99/murayama.html

 

生物としての「ヒト」は,生物全体の中ではもともと少ない数の子供を産み育児をする部類に入ります.子供をできるだけ多く産むことにコストをかけ育児にはコストをかけないタイプではなく,子供の産む数にはコストをかけず,育児にコストをかけるタイプと言い換えられます.

しかし,近代社会では,育児にコストをかけられる=お金を使えるにもかかわらず,子供の数を少なく産むヒトたちが出現しました.生物は自分の遺伝子をより多く残すものだというドーキンスの考え方に反しているのです.村山(1999)から5年後のスプレイグ(2004)もそのことを取りあげながら答えを書ききれていませんでした.近年の理論発達についてはフォローしていませんが,ごく最近でも国立民族学博物館において研究プロジェクトが組まれていたことからも,そう簡単に答えが見つからないことが容易に想像できます.


Rootport氏は,著書の表紙によれば「会計や経理,映画やアニメに造詣が深い」とのことです.まったく専門分野ではないのにもかかわらず,生物学者や人類学者たちが説明できていない「高所得になっても子どもは増えないこと」に自力で気付いたことが著者最大の慧眼だと思いました.

 

ところで,1つわからないことがありました.これは著者への質問です.細かいことですので,読み飛ばしてもらってかまいません.

p.20の図1「世帯所得ごとの子供の有無(対象:世帯主40歳未満)」の出典(統計表一覧 政府統計の総合窓口 GL08020103表番号212)にあたったところ,子供がいるとカウントされるのは一般世帯のうち「夫婦,子供から成る世帯」および「夫婦,子供と親から成る世帯」しかありませんでした.一般世帯のうち「夫婦と親からなる世帯」があったことから,この「親」というのは子供にとっては祖父もしくは祖母に該当すると思われます.「片親と子供」も「子供と親(祖父母の両方またはどちらか片方)」という世帯が含まれていないため.世帯所得ごとの子供の有無を示すデータとしては適切ではないと思われます.また,このデータからは,一般世帯のうち「夫婦,子供から成る世帯」および「夫婦,子供と親から成る世帯」と「それ以外の世帯」に区分することしかできないので,「その他」という項目はありえないと思います.なお,世帯所得100万円以下についてだけ40歳未満のみのデータを用いて計算したところ,「夫婦,子供から成る世帯」および「夫婦,子供と親から成る世帯」すなわち子供のいる世帯は全体の1.9%,そうでない世帯は98.1%.ただし,単身世帯は全体の88.5%でした.著者作成の図からは,子供がいる世帯は1.9%と同じですが,子供がいない世帯は89.2%,そしてその他は8.8%でした.

 

第3章『結婚しないヒトの遺伝子と少子化の原因』

この章についてはRootport氏がブログで根幹部分を公開していますので,著書を購入していない方はご一読することを強くお薦めします.

 

rootport.hateblo.jp

 

そして,このエントリーに対して私は三度記事を書きました.

 

browncapuchin.hatenablog.com

 

 

browncapuchin.hatenablog.com

 

 

browncapuchin.hatenablog.com

 

Rootport氏からはツイッターでリプライをいただきました.ですが,それらはあくまでブログ記事に対するものなので,ここではとりあげません.ソースを示しながらブログエントリーを書いたのですから,ブログエントリーでリプライしてほしかったですね.

では,第3章を読んで思ったことを,該当ページを挙げながら書き連ねます.

 

子供に十分な投資をしたがることはヒトの習性か?

p.127

「少子化は自然法則に著しく反した現象のように思える.生物は基本的にたくさんの子孫を残そうとするはずだ.にもかかわらず,ヒトは必要以上に子供を作ろうとしないらしい.やはりヒトは自然から逸脱した特殊な生物なのだろうか.

 そうではない,と私は考えている.

 少子化は自然法則に反するどころか,ヒトが進化の過程で身につけたごく自然な習性によるものだ.その習性とは,子供に十分な投資をしたがることだ.」

 
前半が正しいことはすでに述べた通りです.しかし,後半冒頭の「少子化は・・・ヒトが進化の過程で身に付けたごく自然な習性による」とは考えにくいです.なぜなら,人口が増え続けているからです.少子化が人の自然な習性であるなら,人口爆発は起きなかったでしょう.

 

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出典:第1節 世界の人口と出生率の推移|平成19年版 少子化社会白書(本編<HTML形式>) - 少子化対策:政策統括官(共生社会政策担当) - 内閣府

1960-65年に6.70だったアフリカの合計特殊出生率は,2010-2015年に4.71と低下したものの,2010-15年日本の1.40を大きく上回っています(World Population Prospects - Population Division - United Nationsより).いまでもアフリカの人口は増えています.もし,少子化が人に生得的に備わった自然な習性であるなら,農耕が発明されようと産業革命があろうと,人口がこんなに増えることはなかったはずです.

 

さらに,「十分な投資をしたがる」ことが「習性」かどうかも疑問です.狩猟採集民は子供に対して積極的な教育をしないからです.

diamond.jp

この記事によれば,

文化人類学者たちによる長年の観察・研究によって、狩猟採集民(ピグミー、ブッシュマン、イヌイット、アボリジニなど)での「教示の不在」がわかっています。たとえば、こんな様子です。

・事例1:母親が魚をさばいている。そばの子どもがそれを見ているが、親はさばき方を教えようとはしない
・事例2:年の離れた子どもたちが道具を使って遊んでいる。年少者が遊び道具をつくろうとしているが、年長者は見ているだけでつくり方を教えようとはしない

親や年長者は、教えればすぐできることでもあえて教えません。子どもたちが自らやることを待ち、失敗したら笑ってあげるのです。

 個々人の創造性を引き出すためだ、といわれています。ヒトは教われば同じことをやるだけです。それが一番楽なので。そこに「創意工夫」はありません。

 「教えない」ことによる教育法は、おそらくは現生人類ホモ・サピエンスの力を引き出すための原初のやり方だったのです。

 

(中略)

 

ピグミーのある部族をよくよく観察すると、大人が子どもの「学習機会」を上手につくっていることがわかりました。

・事例3:ジャイアントラット猟の際、大人Aが「葉をもぎ取れ」と別の大人Bに言いつけたが、子どもCがそれをやろうとした。するとAは優しい声で「君は動かず、ネズミがどこから出るか計算して」とリクエストした。

Aは青年ですが、子どもCを猟自体から排除することなく、しかし適切な学習機会を得られるように促したのです。これはCが一人前(=猟に役立つ)であるとなしにかかわらず行われていました。

 「こうしろ」と教えるわけではありません。でも、その作業に参加してしまうのではなく、一番肝心なところを「自ら学ぶように誘導」していたのです。

 
魚の捌き方も道具の作り方も生きていくために必要な技術です.狩猟採集民は,技術を積極的に教えることはしないようです.子供達の世話をわざわざ焼くわけではなさそうです.狩猟採集民が子供達に十分な投資をしているようには到底思えません

それでも,子供達が学ぶ機会・学ぶ場は提供しています.子供が年長者の行動を観察しても邪険に扱わないのです.スマホに夢中になっている親のところに「それ見せてー」と寄ってきた子供を邪魔者扱いするなんてことはしないようです.

狩猟採集民の生活は,おそらく農耕が発明された約1万年前よりもっと前の人類の生活を現代にも残していると考えられています.人類の誕生は約20万年前(諸説あるようですが)からスタートしたと言われてます.おせっかいを焼くほど子供に投資するようになったのは,人類の歴史のスパンからすればごくごく最近のことではないでしょうか?

 

孫の世話を焼くのは,ヒトが進化の過程で手に入れた心理的特性の一つなのか?


p.166には

「ヒトは親だけでなく,祖父母からも投資を受けて育つ.あなたの身近にいるおじいちゃん,おばあちゃんを思い浮かべて欲しい.孫に対して,実の親以上に甘くなる人卧多いのではないだろうか.孫の世話を焼くのは,ヒトが進化の過程で手に入れた心理的特製の一つだ」

と書かれています.

しかしながら,小山修三(2011)によれば,古人骨から推定される平均寿命は,縄文時代で男性・女性ともに31.3歳,弥生時代で男性30.0歳,女性29.2歳とのことです(第六回 縄文人と現代人|JOMON FAN:縄文ファン).あくまで平均だから長生きした人もいるでしょう.しかし,それはむしろ少数派と思われます.また,人の生理的性質上,縄文時代の性成熟が現代よりひどく早かったとも考えにくいです.したがって,孫に会うことなく天寿をまっとうした人のほうが圧倒的に多かったのかもしれません.もしそうだとすれば,祖父母が孫に対して世話をする行動はそもそも見られなかったかもしれないのです.祖父母が孫に世話を焼けるようになったのは寿命が長期化した後の出来事じゃないでしょうか?

 

p.149

「しかし,当時のヨーロッパで見られた少子化傾向とは,合計特殊出生率が狩猟採集民族と同水準の6以上から,戦前日本と同水準の4前後まで下がるという現象だった」

 
文意についてではなく,狩猟採集民の出生率について,テクニカルな指摘をします.狩猟採集民の出生率(生涯出産数の平均とのことです)は5.6人とのことです(http://lalombe.icurus.jp/Sato_yugoken_20110227.pdf).ただし,これはおそらく口頭発表用資料と思われ,その中の表に記載されていた数値です.数値の分布幅(レンジ)は3.5-7.9とのことです.狩猟採集民の合計特殊出生率が6以上とは必ずしも言い切れないようです.

なお,現代の狩猟採集民の調査によると,彼らは自分の正確な年齢を知らないことが多いため,人口学的資料を収拾すること自体がそもそも難しいらしいです.

 

容疑者は?

第3章では,日本における合計特殊出生率を低下させたと考えられる要因を論破しています.容疑者は,

・女性の社会進出
・女性の高学歴化
・識字率向上
・人工中絶
・経済的合理性
・子供が死ななくなった(新生児死亡率=乳児死亡率の低下)

これらのうち,女性の社会進出から識字率向上までは今のところ特に異論はありません.

しかし,人工中絶については別です.拙記事からのコピペですみませんが,書いた本人のコピペは剽窃にはあたらないでしょう.3記事合わせても67PVしかありませんし(2016年2月17日現在).

 

戦後すぐの出生率低下の犯人は優生保護法である

下の図は,Rootport氏作成の図に,私が赤で加筆したものです.図の通り,1948〜57年にかけて,合計特殊出生率が急減しているのがわかります.この減少はGDPの上昇具合とかなり乖離しているので,GDPの変化では説明がつかないでしょう.

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この理由は,優生保護法の施行です.Rootport氏もそれは認めています.しかしながら,Rootport氏は「それがすべてだ」,とは述べていません.

 

p.143

 日本では1948年に優生保護法が施行され,1949年には経済的理由での中絶が認められた.世界に先駆けて,合法的に堕胎手術を受けられるようになった,この法律は母体保護法と名前を変えて,現在も生き続けている.

 では,人工中絶の実施状況をみてみよう.

 (中略)

 1953〜1961年の9年間にわたり,日本では中絶件数が100万件を超えていた,対出生比のピークは1957年の71.6%で,産まれた赤ん坊1.4人に対して中絶1件の割合だった.これはなかなかショッキングな数字だ.
 堕胎手術の件数は1950年代に急増した,これは合計特殊出生率の急減と一致する.「人工中絶の合法化によって少子化傾向が進んだか?」と訊かれたら答えはイエスだ.
 ただし,これは答えの半分でしかない.
 女性たちは,中絶が合法化されたから堕胎したくなったわけではない.何か別の理由で子供を産みたくないから,堕胎を選んだのだ.もしそうでないとしたら,現在まで続く出生率の低下にあわせて,中絶件数も増えていなければおかしい(1).しかし実際には,堕胎手術は現象している.堕胎よりも避妊を選ぶようになったからだろう.
 堕胎手術は子供を生まない手段であり,理由ではない.

 

「人工中絶の合法化によって少子化傾向が進んだか?」と訊かれたら答えはイエスだ.と述べた直後,「ただし,これは答えの半分でしかない.」と続けています.

 

須藤(2005)によれば,「人工妊娠中絶件数は1950年頃から急増し,1953〜1961年まで毎年100万件を超えた,同時期の出生数は年間160〜170万人であり,出生1件に対して0.7件前後の中絶があったことになる(資料2,注:下の図を参照).1950年代半ばからは避妊の普及もみられ,夫婦の望まない出生の抑制が一気に進んだ.」とあります(http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/monthly/pdf/0509_9.pdf).

 

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Rootport氏は「女性たちは,中絶が合法化されたから堕胎したくなったわけではない.何か別の理由で子供を産みたくないから,堕胎を選んだのだ.」と述べています.

 

別の理由とはなんでしょうか?それは夫婦の希望子供数の減少でしょう.

この考えに対しては,須藤(2005)の指摘が明快な答えを出しています.

「1950年代に入ると有配偶出生率はどの年齢層でも著しく低下する.戦前から進んできた工業化・雇用者化・都市化は子供の「家族内労働力・後継ぎ」「老後の生活保障手段」としての価値を後退させた.敗戦による生活水準低下や食料不足も重なり,夫婦の希望子供数が減少するなかで,優生保護法が成立(1948年),人工妊娠中絶が合法化されたことが,有配偶出生率の低下に決定的な役割を果たした.」

定量的データが欲しいところですが,須藤(2005)によれば,中絶が合法化される前から,社会情勢の大きな変化によって夫婦の希望子供数が減少していたようです.ここから得られる知見は,時の社会情勢(工業化・雇用者化・都市化・敗戦)が出生数の期待値に影響を及ぼし,時の法律が期待値の実現を促進するということです.

そして,著書で触れている国のうち,モンゴルもこのケースに該当しました.

 

モンゴルの迷走

f:id:browncapuchin:20160210153027p:plainhttp://rootport.hateblo.jp/entry/2016/01/18/233000より

Rootport氏が用いたデータはフローニンゲン大学GGDCマディソン・プロジェクトデータベースです.これは1人当たりGDPを用いてますので,人口を掛けてモンゴルのGDPの近似値を計算し,1960年以降の推移を棒グラフにしました.

モンゴルの人口はこちらのデータを用いました.人口ピラミッド: モンゴル国 1960
グラフの折れ線にマウスを当てると各年の人口が表示されます.

 

棒グラフにしたのはGDPの年変動を視覚的に把握しやすくするためです.1人当たりGDPにわざわざ人口を掛けたのは,1人当たりGDPが国力の指 標としてふさわしいか疑問に思っているからです.例えば,2014年1人当たりの名目GDP(USドル)ランキングの1位はルクセンブルク,2位はノル ウェー,米国は11位,中国はなんと80位です.

世界の一人当たりの名目GDP(USドル)ランキング - 世界経済のネタ帳

 

では,棒グラフを見てみましょう.

f:id:browncapuchin:20160210160450p:plain

 

この図を見る限り,1990年以後モンゴルのGDPは1989年を上回っていません(ただし,データによってはそうじゃないものもあるのですが).モンゴルは,ソビエト崩壊後,1990年に一党独裁体制から複数政党制へと政治が変わりました.同時に経済体制も市場経済に変わりました.

 

駿河(2005)によると,

「国名もモンゴル人民共和国からモンゴル国へと変わった.モンゴルは急進的な移行政策を採用し,財政,金融,貿易,民営化,私有化など多方面で移行 政策を実施した.(中略)急進的移行政策は,マイナス成長,激しい物価高,急激な製造業の縮小など大きなショックを社会に与えた.
 こういった激しい経済社会構造の変化に対して,人々は出生率の低下,牧畜業への流入,都市インフォーマル部門への流入,海外への出稼ぎなどの行動によって対応していった.」

とのことです.

Rootport氏作成の図を見ると,合計特殊出生率が約4(世界銀行によるローデータによると4.052)になったときから「迷走」が始まっています.これはちょうど1990年,モンゴルの政治経済体制が変わった年なのです.


駿河(2005)の引用を続けます.

社会主義時代は人口増加政策が採られて,4人以上子供を産んだ女性は50歳で年金が出る(通常の女性は55歳),手当てが出るといった優遇策が あった.その上に,避妊器具,堕胎手術といったものは厳しく禁止されていた.避妊器具使用,堕胎手術の解禁,たくさん子供を産んだ女性への優遇措置がな くなるとともに,市場経済化に伴う収入,雇用への不確実性の増加が出生率の低下をもたらした.(中略)合計特殊出生率は1984年から1989年にかけて 平均5.4であったものが,1990年には4.5,1993年には早くも2.5になり,2003年にには2.0にまで減少している.結婚率は低下し,初婚年齢も高くなっている.(中略)出生1000人当たり乳児死亡率は大幅な改善を示し,1989年の64.1から2003年には23.0にまで減少してい る.」

 

そして,2013年の乳児死亡率は1,000人当たり12.3まで減少しています.

詳細は原著をお読み下さい.
駿河(2005)http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/17690406.pdf

 

私の言いたいことはおわかりのことと思います.1990年移行のモンゴルにおいて1人当たりGDPと合計特殊出生率の散布図がRootportさんによる定義の迷走型になったのは政治経済体制の変化があったからだと考えるのが妥当です.

 

しかし,Rootport氏はこう述べています.

 p.147

日本の少子化傾向が始まったのは1949年(注:優生保護法施行年です).高度成長を遂げて,所得が倍増する以前だ.もしもベッカーらの主張するとおり所得倍増が少子化の原因なら,まず所得増加が起こり,それを追って少子化傾向が進まないとおかしい.しかし,現実は逆だ.p.144)


先ほど用いたRootport氏作成のこの図(赤は筆者が追加)からすれば1948~57年にかけての合計特殊出生率の急減は1人あたりGDPでは説明できません(1人あたりGDPの伸びがゆるやかです).

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しかし,政治・経済・戦争などの社会情勢が合計特殊出生率に影響することはもうおわかりでしょう.さらに,社会情勢が経済に大きく影響することは実生活を通して身にしみていることと思います.

つまり,合計特殊出生率の減少と社会情勢・経済状況の変化は不可分の関係にあるのです.様々な要因が複雑にからみあっている現代社会では,合計特殊出生率減少の容疑者を一つの変数に求めること自体がナンセンスだと思います.

 

乳児死亡率と合計特殊出生率の関係はいかに?

最後の容疑者となった,乳児死亡率についてはどうでしょうか?産まれてきた赤ちゃんが死ななくなったから,合計特殊出生率は下がる.そのシナリオはありだと思います.

ここで,人がどういう生物なのか,もう一度考えてみましょう.
先述した通り,村山(1999)はこう述べていました.

効率のよい繁殖のために、生物の投資 する方向性には2種類ある。多くの魚のように、できるだけ多くの卵を生むことにエネルギーを投資し、世話はほとんどせず、子孫がわずかでも生き残ればよい という戦略と、栄養のある大きな卵を生むことや、育児に投資し、少数の子孫が確実に生き残ることを目指す戦略である。ヒトは後者の少数の子に手間をかける 生物である。

 

しかし,少数の子に手間をかけるヒトの進化の隣人であるヒト以外の霊長類には,繁殖サイクルが早い種がいます.京都大学大学院の中川尚史のHPによると,アフリカはカメルーン国のサヘルと呼ばれる乾燥地域に生息しているパタスモンキーというサルは,体の大きさのわりには初産年令が早く,出産間隔が短く,大人の死亡率も幼児死亡率も高いとのことです(http://jinrui.zool.kyoto-u.ac.jp/nakagawa/summary5より).つまり,繁殖サイクルが早いのです.野生のニホンザルの繁殖サイクルは2〜3年に1度とのことです.一方,パタスモンキーは毎年出産するケースも珍しくないそうです.乾燥地帯という食物事情の変動が激しく,死亡率が高い環境に対して,早くオトナになって子供をなるべくたくさん産む,すなわち早熟多産という繁殖戦略によって適応したものと思われます(そういう個体の遺伝子が選択されパタスモンキーの祖先種の集団に広まった).

一方,せっかく産んだ子どもが死ぬことが非常に少ない,安定した環境があれば多産する必要はなくなります.子どもを数多く産むコストを減らし,一人を育てるコストを手厚くできるようになります.ヒトの場合,アフリカでは乳児死亡率が高くて合計特殊出産率も高いことを先述しました.アフリカは多産という繁殖戦略になっているのです.

対して日本は真逆です.乳児死亡率も合計特殊出生率も低いです.では,アフリカと日本は何が違うのでしょう?

それは環境です.病院の普及率も医療の発展度もきっと違うでしょう.例えば,鳥山(2001)によれば妊娠と関連した女性死亡率は,アフリカで1万人当たり971人(レンジは230〜1,800人)なのに対し,日本は18人です(https://www.jstage.jst.go.jp/article/africa1964/2001/57/2001_57_17/_pdf).


2010ー2015年におけるアフリカの乳児死亡率は5.9(死産を除く新生児1,000人当たり59人),日本は0.2(死産を除く新生児1,000人当たり2人)です(World Population Prospects - Population Division - United Nationsより).これは医療の普及とは無縁ではありえないし,医療の普及は経済状況とも無縁なはずがありません.

私は,乳児死亡率は環境の安定性を示す指標として合計特殊出生率に影響する変数の一つと考えました.乳児死亡率が安定して低い国は,出産に関して安全な環境を呈しているところなのです.そういう国では,多死に対するリスクヘッジを考える必要がなくなります.だからたくさん子供を産むことにコストをかけるのではなく,産んだ子どもに対してコストをかけるようにシフトするのです.ただし,乳児死亡率は医療の普及と無関係ではなく,経済状況や社会情勢から独立した変数ではないのです.

 

しかしながら,また最初の問いに戻ってしまいます.

まだまだ子供にコストをかける余裕がある(はず)の裕福な家庭が,なぜ子供を数多く産まなくなったでしょうか?

それは「教育と技術の競争(p.188)」のせいなのかもしれません.あるいは将来が見通せない不安から,子供にかけるコストの上限を見極めることが困難になったせいかもしれません.ぜひ答えを考えてみて下さい.


 

あとは,細かいところを2点だけ指摘します. 

ヒトの社会構造について

 現代社会の多くの国では,民法によって人の婚姻形態が規定されています.日本では一夫一婦制です.しかし,一夫多妻が認めら得ている国があります.アフリカの牧畜民には一夫多妻制の人たちがいます.また,一妻多夫制の人たちもいます(http://www2.rikkyo.ac.jp/web/katsumiokuno/CA11.ht).

また,男性と女性の体格差(体格も含めた男女の身体的特徴の違いを性的二型と呼びます)は,ゾウアザラシのように雄が雌より極端に大きい種がいます.そういう種の多くは一夫多妻型の集団を形成します.一方,ヒトのように性的二型が小さい種は一夫一婦型(ペア型)の集団を形成することが多いです.

しかしながら,雌雄間での体格差が非常に大きいオランウータンは基本的に雄も雌も単独行動です.どのような集団を形成するのかについては,性的二型から予測される傾向が確かにありますが,決してそのことだけによって規定されるわけではないようです.

一夫多妻型の種の場合,多数の雌を集団に保ち,交尾を独占することが繁殖成功の近道です.だから雄同士は集団におけるでたった1頭の雄の座を巡って互いに争います.

ヒトは他の霊長類と違い,日常的に道具を使います(日常的に道具を使うチンパンジーやオマキザルもいますけど).もしかしたら,雌をめぐる闘いに道具を使っていたのかもしれません.ならば,体を大型化する方向には進化しなかったのかもしれない.

 

この問題に深入りすると抜け出せなくなるので,「ヒトは一夫一婦制の習性を持つ. p.179」と決めつけるのは早計であることだけ指摘しておきます.

親は親のために子を守る

p.165 

 そもそも動物が子育てを行うのは,自分のためではなく,子供のためだ.
 たとえば水鳥のチドリの仲間は,巣に外敵が近づくと,ケガをしたふりをして敵の目を引きつける.親である自分に敵の注意を向けることで,巣にいるヒナや卵を守るのだ.もしもチドリの親が自分の利益最大化を目指しているのなら,敵の前に身をさらすなどというリスクは冒さない.彼らは子供の利益を守るために,自分の利益をかなぐり捨ててしまう.

 
一見美談に見えますが,行動生態学による考え方からすれば,チドリが見せるその行動(擬傷)は親のための行動なのです.ある遺伝的性質を持った型(遺伝子型)の個体が,1個体あたり次世代に残す子の数の平均を適応度と呼びます.行動生態学では,生物は適応度を最大にすべく行動すると考えられています.適応度を大きくするためには,できるだけ多くの子供を産むか,産んだ子どもを確実に育て上げることが重要となります.だからチドリに限らず,鳥のいくつかの種では,子に危険が及ぶと外敵の注意が自分に向けられるようふるまう,と考えられています.子供の利益を守るために子供を守るのではなく,親の利益を守るために子を守っているのです.

いくつかの動物種では,子殺しという行動がみられます.一夫多妻型の集団で雄が交代したとき,新たにその集団の雄になった個体(リーダーとしておきます)が,集団にいるアカンボウをかみ殺すのです.そのアカンボウの父親は前リーダーオスである可能性が極めて高いです.自分の血縁者ではない個体なので,殺しても何ら損はありません.そして,アカンボウを殺された母親は間もなく発情が回帰して新リーダーオスと交尾します.新リーダーオスは自分の遺伝子を残すのです.

「自分のアカンボウを殺されたのに,なんて母親だ!」などと解釈してはいけません.子殺しは,発見された当初は「異常行動」と見なされてしまいました.でも,同様の行動が他の動物でも見られるようになったことと行動生態学(当時は社会生物学)の理論が発展したことから,リーダーオスにとって利益のある行動と考えられるようになりました(子殺し - Wikipediaを参照するとよいでしょう).


チドリの親が子供を愛する感情がないとは言い切れませんが,行動の利得を考える上では,チドリの感情を考慮する必要はありません.なお,適応度や包括適応度といった行動生態学の主要な理論は進化心理学でも用いられています.

 

第4章「ググレカス」が世界を変える

p.236

 少子高齢化は,社会福祉だけの問題ではない.

 若年層の減少が,「産・官・労の高齢化」を招いた.結果,先見性のあるアイディアや革新的な施策,製品,サービスが生まれなくなった.一言でいえば「社会の活気が失われた」のだ.
 これこそ,少子高齢化の本当の恐怖だ.

 

この文章はぐさりと刺さりました.

介護施設職員が3人の入居者を殺害した非常に痛ましい事件がありました.少子高齢化が進行すると,老人が最低限の介護さえも受けられなくなるかもしれない.でも,それ以上に深刻なのが,「社会の活気が失われた」ままになってしまう,いわば社会の硬直化なのかもしれません.今の若い人たちはそれでいいのですか?

 

おわりに

私はツイッターでこうつぶやきました.



すると,晶文社の方がリツイートしておられました(大丈夫ですか?)

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会社をやめられない理由っていったいなんですか?

Rootport氏はpp.30-37で,転職を前提として転職する人は自分の利益を最大化することしか考えないから後進を指導することはない,また,転職市場が一般化するなら会社は新人育成にコストを払わなくなる→人件費を圧縮する,結果として転職できるスキルをもつ少数の人材は高給取りになれるがそうでない人たちは給与が下がってしまうのではないか→だからこそ,資格をとるなり自分の好きなことで稼げるよう道を切り拓くことが大切なのだ,という旨のことを述べています.イケダハヤトさんが帯に書いている「あなたが〈会社をやめられない理由〉」はこの本のどこにも書いてありません

はっきり言います.この本は帯で¥1,000損してます.帯を差し替えるか外してから書店に並べたほうが売上を消耗しないでしょう.

 

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我が家には子供が二人います.三人目は・・・いろいろともう無理です.少子化対策はもう卒業です.あとは子供達をもうちょっと育てて,彼らが結婚して孫が見れるくらいまで(包括適応度が上がります)もうちょっとがんばるだけです.

Rootport氏は1985年生まれとのこと.ちょうどその年齢の方達が少子高齢化対策の主役でしょう.「少子高齢化なんて大したことない」とあなたたちに言ってほしいです.

 

 

最後にひとつだけ.少子化の進行によって日本の人口が減ることが決して悪いことではない,という考えを紹介しておきます.将来の選択肢は一つだけではないのですから.

 

発展とか開発は,もう時代遅れである.いつまで,そのようなたわごとを言いつづけるのか?なぜ,「進歩」しなければならないのか?文明とともになにが進歩したのか?いつも,新聞には「経済成長率」なる言葉が踊っていて,一喜一憂している.なぜ成長しなければならないのかは,多くの人の頭の中にはない.なんのために生きているのか,という問いなしに議論がなされているのである.
 石油などの再生できない資源は有限だし,農作物だと再生できる資源も最大値は決まっている.だから,いつまでも経済成長ができるわけがないし,いつまでも人口を増やすことはできない.自然破壊は,「人口×生活水準」に比例するからである.
 結局,適正人口と,持続可能な生活スタイルが見いだされるべきである.「持続可能な生活スタイル」は定義するのがむつかしいが,回復不能になるまで自然破壊をしないというのが,妥当なところであろう.たとえば,日本がその国土だけで,「持続可能な生活スタイル」を維持するには,おそらく江戸時代の人口3000万人を大きく超えることは無理だろう.それゆえ,現在日本の人口が減少傾向にあるのは歓迎すべきことにほかならない.(西田,1994,pp.215-216より)

 

ではまた!

 

最後までお付き合いくださった方に感謝いたします.

 


引用文献(書籍のみ)

デイビッド・スプレイグ(2004)『サルの生涯,ヒトの生涯ー人生計画の生物学』,生態学ライブラリー13,京都大学学術出版社.

西田利貞(1994)『チンパンジーおもしろ観察記』,紀伊國屋書店.

Rootport(2016)『失敗すれば即終了!日本の若者がとるべき生存戦略』,晶文社.