おまきざるの自由研究

マネーと本、ワイン、お弁当。たまにサルとサイエンス

脳の進化の諸仮説(食性脳仮説,高エネルギー組織説,社会脳仮説,時間収支モデル,料理説)について簡単に紹介する

当記事はプロモーションを含んでいます。

はじめに

ヒト以外の霊長類の食性にまつわるフランス通信社AFP BB News(以下,AFPニュース)の記事がはてなブックマークのホットエントリーに入った.182ブクマがついたのでご覧になった方も多いと思う.   

www.afpbb.com

その一部を引用する(なお番号は筆者が付したが,この番号は後にも登場することをあらかじめお断りしておく).

①霊長類140種以上の主食を調査するとともに、霊長類の食べ物が最近の進化の間にそれほど大きく変化していないと仮定した。

②研究によると、果物を食べる霊長類は、葉を主食とする霊長類よりも約25%大きな脳を持っているという。

 

霊長類の脳(脳容積や脳重、もしくはそれらを体重当たりにした相対脳重ものなどが用いられるが,引用元に記載がなければ以下brain sizeとする)は他の哺乳類群より相対的に大きいことが知られている.その最たる存在は我々ヒトだ.ここに異論はないだろう.

引用①についてだが,そう仮定したところで,ヒトの脳が大型類人猿よりかなり大きく発達している事実は無視できない.次の図を見て欲しい.

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(出典:[1], p.23 )

図の水平線が現生チンパンジーの頭蓋容量,右端がヒトである.人類の化石種たちは過去600万年における進化の過程で脳容量を増大してきたことがわかる.

だが,「人間の脳の大型化,果物が後押しか」というAFPニュースのタイトルからはまるで果実食がヒトbrain size増大に寄与したかのように読まされてしまう.

果たして果実食は現代のヒトに至るまでのbrain size増大を支えることができたのだろうか?

答えはNo.ヒトは果実を中心とした生食ばかりでは体重を維持できない生き物なのだ.

ヒトはヒト以外の霊長類と近縁だが,ヒトはヒト以外の霊長類とは明らかに違うのである.



このエントリーではヒトbrain sizeに寄与したと考えられているいくつかの仮説を紹介する.

我々の祖先が大型類人猿と人類の共通祖先から袂を分かって600万年経つが,その間に何が起こったのだろう?けもフレクラスタはもちろん,けものフレンズを見ていない人たちも人類600万年史に思いを馳せるきっかけになれば,と思う.

生食主義者の研究

リチャード・ランガムという著名な霊長類学者がいる.彼が書いた本『火の賜 ヒトは料理で進化した』[2]第1章のタイトルが「生食主義者の研究」だ.

第1章から引用する.赤太字は筆者が付した.

重症高血圧の9人の志願者が12日間,類人猿に近い食生活を送った.ペイントン動物園のテントの仕切りのなかで暮らし,ほとんどあらゆるものを生で食べた.ピーマン,メロン,キュウリ,トマト,ニンジン,ブロッコリー,ブドウ,ナツメヤシ,クルミ,バナナ,モモなどー50種類を超える果物,野菜,木の実だ.二週目には脂分の多い魚の料理をいくらか食べ,参加者のひとりはこっそりチョコレートも口にした.(中略)チンパンジーやゴリラならこの食事に多いに満足したはずだ.野生で見つかるメニューより明らかに高品質だから,食べて太りもしただろう.実験の参加者は満腹になるまで,重さにして1日最大5キロ(10ポンド)を食べた.栄養学者が立ち会い,毎日の摂取カロリーが女性で2000kcal,男性で2300kcalと充分になるように調整した.(kcalは筆者が追加)
 参加者の目的は健康の改善であり,みなそれには成功した.実験終了時,彼らのコレステロール値は4分の1近く下がり,平均血圧は通常値に落ち着いていた.ところが,医学的な希望は叶えられたものの,ひとつ予想外の事態が生じた.参加者の体重が大きく減ってしまったのだ.ひとり平均4.4キロ(9.7ポンド),1日に換算して0.37キロ(0.8ポンド)の減少である.[2],pp.18-19

これを読んで「減量に成功したのか,よかったね」と言うべからず.なぜなら,必要カロリーを満たしながら毎日5kgも食べてたにもかかわらず体重が減少してしまったのだから.

ヒトは「厳密に生食だけをとる食事法では必ずしも充分なエネルギー供給ができない」([2], p.20)生き物なのだ.


知っての通り,ヒトの臓器でもっともカロリーを消費するのは脳である.

だがAFPニュースの最初の文には「現在最も手軽に食べられるおやつ,果物のおかげで,人間は大きくて強力な脳を発達させることができた可能性が高いとの研究論文が27日,発表された」とある.生の果物等だけ食べていたのではヒトはエネルギーを賄えないというのに

したがって,ヒトbrain size増大の理由を果実食に求めるのは無理がある.AFPニュースはアイキャッチ画像も加えたミスリード2つで読者の誤解を招いたと言わざるを得ない.

ただし,ヒト以外の霊長類では果実食者のほうが葉食者よりbrain sizeが大きいことがわかっている.

ここで,果実と葉の違いについて簡単にふれておきたい.

食べものとしての果実と葉の違いはどこにあるのか?

1日野菜350gが喧伝されて久しい.筆者も野菜350gの根拠についての記事を書いたほどだ.

野菜350gの根拠は厚労省による健康日本21,ここで野菜摂取により期待されるのはカリウム,食物繊維,抗酸化ビタミンなどによる循環器疾患やがんの予防である.決してエネルギー源としてではない(ちなみにレタス100gあたりのタンパク質は0.6g,脂質は0.1g,カロリーは12kcalであるレタス - カロリー計算/栄養成分 | カロリーSlism

葉を主食とする霊長類には中南米にいるホエザルやアジア・アフリカにいるコロブスがいる(コロブスは特殊な消化器官を持っていてセルロースを分解できるバクテリアを飼っている[3], p.102).ともかく,葉を主食とする霊長類がいることは葉の栄養だってまんざらでもないことの証左になる.

とはいえ,葉より果実のほうが食物として大きく優れている点がある.ニホンザルが食べる葉と果実の栄養分析の結果を見てみよう(表のデータ出典は[4], pp.86-87).

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黄色のハイライトは各項目の最高値を示している.ここではカロリーに注目しよう.単位重量当たりのカロリーが最も多いのは果実だが,それでも葉の1.05倍程度だ.

しかしながら,カロリー摂取速度となると話はまるで違ってくる.果実は未成熟葉の1.4倍,成熟葉のなんと2.4倍の速度でカロリーを摂取できる.言い換えれば,同じカロリーを得るのに果実は葉よりも短時間ですむのだ(下線部についての話は後にも出てくるのでぜひ覚えておいてほしい).

したがって,エネルギー(カロリー)源として見た場合,果実は葉よりも優秀な食物と言える.

ただし,葉と違って果実はいつでもそこに実っているわけではないという特性がある.果実食者にとって,この問題はとてもやっかいだ.

果実食者は果実にありつくためになんとかしないといけないのだ.

この観点から説明を試みたのが食性脳仮説である.

食性脳仮説

果実の空間的・時間的分布は葉よりも限られる.

ひらたく言えば,果実は葉に比べると,どこにでもいつでもある食べものではないのだ.果実を食べようとするとき,どこでありつけるのか?いつありつけるのか?という問題が常につきまとう.

果実の実り頃はその果実によってだいたい決まっているものの,豊作不作があるように実り具合には変動がある.また実があったとしてもサルは熟れていないものは避ける傾向にある.

したがって,果実にありつこうとするには,自分の生活圏のどこにその果実が実る木があるかという地図に加え,いつ頃実をつけ,さらにその実の食べどきのタイミングという情報までも添付して脳内に蓄積し,適宜それらを取り出せなければならない(メンタル・マップ)

それに比べれば葉は「広範囲に,しかもいつでもある.若葉や特定の樹種の葉のみと限定したとしても,果実に比べればその存在は時間的にも空間的にもはるかに幅が広い.だから,事細かに記憶しておかなくても,食生活に著しい不利益が生じることはない」([5],p.233).

もう少し引用する.

こうして,意識せずに果実食者は,あえてたいへんな量を記憶する鍛錬を積み重ねてきたのだ.そうした結果,否応なしに知能は発達した.記憶力は知能の重要な部分を構成する.言い換えれば,記憶は心の主要部分であり,記憶力こそが心の根幹を作ってきたとも言える.「葉っぱならそこら中にあるから,葉っぱを食べて済まそう.果実を探す手間も省けるし,遠くまで歩き回らなくてもいい.探すのなんて面倒くさい」,そう思っている動物しかいなかったら,おそらく知能はあまり発達しなかったのだ.[5].pp.233-234


記憶容量がbrain sizeに比例するのであれば,果実食者のそれは葉食者より大きいであろう.このことは,「②研究によると、果物を食べる霊長類は、葉を主食とする霊長類よりも約25%大きな脳を持っているという。」に合致する.

しかしながら,これはAFPニュースの元となった論文の第一著者デカーシエンのオリジナルでもなんでもない.これはいわゆる「食性脳仮説」とよばれるアイデアであり,20年以上前からすでに提唱されている.

次の図は2005年に出版された『進化しすぎた日本人』[5], p.231からの引用だが,見ての通りこの図の出典元論文が発表(印刷)されたのは1992年なのだ(ただし,澤口のどの業績からの引用かは明記されてない.TV等で澤口俊之氏を見たことがある方は少なくないだろう)

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(出典:[5], p.231)

くどくて申し訳無いがまた[5]から引用する.

霊長類の多くの種は植物食だが,その中でも果実を主食にする種と,葉っぱを主食にする種に大別することができる.するとどうだろう.図11-2の左に見られるように,明らかに果実を主食にする種のほうが相対脳重(注:ほぼ新皮質:p.230より)の値が高かったのである.つまり果実食者のほうが,葉食者より賢いということだったのだ.この結論を「食性脳仮説」と言う.[5], p.231


食性脳仮説は果実食者と葉食者におけるbrain sizeの違いを指摘する.

しかし,この仮説をヒトのbrain sizeの増大に至る要因について援用するのは厳しい.ヒトは600万年もの間,ずっと果実を食べ続けてきたわけではないのだから(ヒトの祖先が進出した地域によっては果実を利用できない所や時期もあったはずだ)

チンパンジーに比べヒトは口が小さく,顎の力が弱く,臼歯も小さい.当然,野生のチンパンジーが食べるものより小さくて柔らかい食べもののほうが我々には向いているのだ.

さらに言うと,ヒトはチンパンジーよりも胃・小腸・大腸までもが小さい.そしてこの特徴は食性脳仮説と無関係ではない.

"高エネルギー組織"説

果実食者のチンパンジーやクモザルの胃腸は葉食者のゴリラやホエザルより小さい.「体重比で胃腸の小さな霊長類は,より大きな脳を持っている」([2], p.112)のだ.そして,果実食者のほうが葉食者より相対脳重は重い.

アイエロとウィーラーはある種が小さな胃腸を持つことで節約できるカロリー量を計算し,それが大きな脳に求められる追加のカロリー量とうまく一致していることを示した.そして,胃腸に使うエネルギーが少ない霊長類はそれだけ脳組織にエネルギーをまわすことができると結論付けた.大きな脳は"高エネルギー組織"を減らすことで可能となったのだ.この考え方は"高エネルギー組織"説と呼ばれる.[2], p.113


"高エネルギー組織"説と食性脳仮説は決して不可分なアイデアではないだろう. ただし,小さい胃腸をもった鳥類がその分余剰となったエネルギーを翼の筋肉に回すなど,必ずしも脳組織増大という方向にはいかない([2], p.113)という点は非常に興味深い.

では,余剰エネルギーを脳組織増大に回すものとそうでないものの違いは何なのだろうか?

別の仮説を紹介する.

社会脳仮説

ヒトは1人で生活しているわけではない.それはヒト以外の霊長類も共通している(オランウータンは基本的に単独生活だが他個体と完全に隔絶されてはいないため,彼らを引き合いに社会脳仮説を否定するのは早計だ).したがって,同種他個体との間における社会生活でなるべくトラブルに遭わずにすませるには,他個体の情報を記憶し,引き出せるようにしておくことが重要だ.ジャイアンの歌が暴力的な破壊力をもつという情報を知っていればジャイアンリサイタル開催を感知したとき即回避行動をとれるかもしれないように.

ここで,食性脳仮説で用いた先ほどの図をもう一度見てほしい.

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(出典:[5], p.231)

この図の右側には「多妻型」と「一妻型」の相対脳重を比較したものも記載されている.多妻型というのは群れに複数の繁殖可能なメスがいること,一妻型は繁殖可能なメスが群れに1頭しかいないことを示す(一妻型の典型は一夫一妻型だが多妻型のマーモセットではメスが複数いても1頭しか繁殖しないことがある)

多妻型のほうが群れにいる頭数(群れサイズ)は多くなる傾向がある.したがって,多妻型では覚えておくべき他個体の情報は多くなる.

群れサイズが大きくなれば,覚えておくべき他個体の頭数は増え,彼らと自分との関係のみならず彼ら同士の間の関係というよりいっそう複雑な情報を蓄積し,何かことあれば瞬時に引きだして処理しなければならない.このため、より複雑な個体間関係もしくは社会的行動をもつ動物のbrain sizeはそうでない動物より大きいと考えられる。かなり端折っているけれどこれが社会脳仮説のあらましだ。


ロビン・ダンバーは1998年に"Social Brain hypothesis"という論文を発表した.その中の図を改変したのがこれだ.

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(出典:[5], p237 )

これは霊長類各種における脳重に対する新皮質の割合(新皮質比):X軸霊長類の毛づくろい相手数=クリック・サイズ(毛づくろいは親密さのメルクマールとされている):Y軸の散布図である.相関しているのがわかる.

ただし多妻型の社会構造をもつ種には先ほど食性脳仮説でふれた葉食者もいる(例えばアカコロブス).だから生態脳仮説と社会脳仮説はどちらにも一長一短があるのだ.


ところである種の新皮質比をある方程式に代入すると,その種で予測される集団規模が算出できるという.現世人類の新皮質比を類人猿のそれに代入するとその数は150人(いわゆるダンバー数だが提唱者本人による著書『人類進化を解き明かす』第3章「社会脳仮説と時間収支モデル」にはダンバー数という言葉は登場しない)となり,これはヒトを含めた霊長類では最大だ.brain sizeの増大と日常的につきあえる範囲の間に何らかの関係があることはまず間違いないだろう.

ダンバーによれば,ヒトにおける150人という集まりにはこういうものがあるそうだ.
・狩猟採集民共同体
・歴史を通して見られる村落
・さまざまなキリスト教派の教会区
・企業組織
・軍事組織(中隊の平均サイズ)
・クリスマスカード受取主数
・フェイスブックアカウント数 [1], pp.63-68

社会集団サイズを大きくする利点とは

社会集団サイズを大きくする利点には何があるだろう?

ヒトの身体的特徴の一つは,見ての通り直接闘争に有利な武器を身に纏っていないことだ.

普通の人は本気で立ち向かってくる凶暴な野良ネコにすら勝てない.ネコのかぎ爪によるネコパンチ・ネコキック,そしてあの鋭い歯で痛い思いを余儀なくされたヒトは少なくないだろう.小型犬だって本気噛みされたらイヤなんてもんじゃない.より大型のケモノならなおさらだ(ウィリー・ウイリアムスや大山倍達ならともかく・・・)

数百万年の間,人類は多くの動物を狩ってきた一方,多くの人類もまた動物に狩られたに違いない.狩られないようにする一つの手段が群れサイズすなわち社会集団サイズを大きくすることなのだ(対捕食者戦略)[6], p.335.

他にも集団サイズを大きくする利点はあるが省略する.ただし,集団が大きくなれば調整は難しくなる.脳機能の制限上,うまくやれた限界がヒトの場合150人なのかもしれない.

なお,ダンバーらは「時間収支モデル」という説も唱えている.次項でごく簡単に説明する.

時間収支モデル

動物は24時間活動し続けているわけではない.昼間活動する昼行性(霊長類ではもっとも多い)で赤道付近に生息していれば活動時間は日が出ている12時間と考えられる.

活動できる時間のうち,生きるために必要な行動すなわち移動(食べ物がある場所や水場、ねぐらへの移動など),採食(食べ物を探し回る時間と食べる時間),休息(日中に体温が上昇しすぎるのを防ぐため,あるいは消化のための時間),社会的活動(毛づくろい等)にどれだけ割り振るのかについては生息環境と社会構造によって変わってくる.

食物が乏しい環境に生息している場合について東北地方のニホンザルを例にあげよう.

宮城県金華山のニホンザルだと.秋にブナやケヤキの実が豊作なときは地上に落ちた実(落果)を冬中食べることができる.一方,不作・凶作だったときには冬にそれらを食べることができない。そうなるともっぱら樹皮や冬芽や草本を食べるしかなくなる.これらの食物にも栄養はあるのだが,樹皮などはいかんせん繊維の塊だ.樹皮のカロリー摂取速度は2.53kcal/分であり成熟葉とさほど変わらないものの,冬芽は1.53kcal/分,草本も1.53kcal/分と果実の5.91kcal/分に敵うはずもない([4], pp.86-87).必要なエネルギーを得るためには採食時間を延ばして対応するしかないのだ([7], p.247).


話を戻そう.ダンバーはヒト以外の霊長類のデータから、採食、移動、休息にあてる時間を、ある場所におけるその食性、天候、社会集団の規模の関数として表す方程式を編み出した。活動時間からこれら3つの時間を差し引けば社会的行動(毛づくろい)に費やせる時間が計算できる。

群れを維持するには個々の個体同士の毛づくろいが欠かせない.しかし,食物が乏しいために食物の探索に時間がかかるところに住むと毛づくろい時間は短くならざるを得ない.

もし「集団の規模がその動物が毛づくろいに割り当てられる時間を超えるようになると,その動物たちは毛づくろいしたい相手全員に対処できなくなり,充分に強力な絆を維持するほど頻繁に毛づくろいできなくなる.そうなると,集団は崩壊しはじめ,やがて別個の道を行く二,三個の小さな集団に分裂する」([1], p.83)という.

ところで,チンパンジーで合致する方程式にアウストラロピテクスのデータを入れると予測されるアフリカ南部化石地帯のアウストラロピテクス共同体の規模は10頭未満というかなり小さい値になってしまうという([1], p.100).つまり,チンパンジー・モデルではアウストラロピテクスの時間収支が合わない.アウストラロピテクスはチンパンジーとは異なる方法を採用していたと考えられる.

では,「アウストラロピテクスは時間収支の危機をどのようにして克服したのだろうか?」([1], p.103).

その可能性の一つが「アウストラロピテクスがより効率のよい食性に転換して摂食時間を減らす方法を見つけたこと」([1], p.111)という.

ダンバーは,新たな食性として骨を砕いた骨髄や頭蓋骨を割った脳,シロアリ,草本植物の根や塊茎をあげている([1], pp.111-115).

実は,3つ目の塊茎は先に引用したリチャード・ランガムも指摘している.ただし,アウストラロピテクスにとって骨髄の利用はまだ早かったかもしれない.次項でみてみよう.

料理説

イモ(?)のアウストラロピテクス

果実と葉の違いについての項で「同じカロリーを得るのに果実は葉より短時間ですむ」とすでに述べた.時間収支モデルからすれば果実は葉より「良い食物」と言える.

アウストラロピテクスは果実よりもっと「良い食物」を摂取して時間収支モデルの破綻を回避していたのだろう.ランガムによれば,アウストラロピテクスは「根や球根を噛み砕くのに適した」([2], p.116)大きな歯を持っていたという.そして,植物の地下器官,特にイモは「今日の狩猟採集民にとっても澱粉質の食物の"スーパーマーケット"」([2], p.116)である.

日本のチンパンジー研究第一人者である西田利貞(故人)はこう記している.

多くの人類学者は,チンパンジーやビーリヤ(注:ボノボすなわちピグミーチンパンジーの別名)が食べないもの,あるいは食べるにせよわずかしか食べないものでヒトがよく食べるものの中にこそ,ヒトを作った食物があるはずだと考える.[8], p.178

そして,これまでにあげられた3つの「食物」仮説(イネ科の「種子食仮説」,植物の地下器官である「イモ食仮説」,「肉食仮説」)をあげ,狩猟採集民が例外なく持っている道具として掘棒があることから「イモ食仮説」を支持している([8], pp.178-179).

500万年から700万年前,類人猿からアウストラロピテクスへのbrain size増大はもしかしたらイモ食によって支えられたのかもしれない.

さて,次なるbrain size増大の段階はホモ・ハビリスだ.

ホモ・ハビリス

アウストラロピテクスの食性について「ダンバーは,新たな食性として骨を砕いた骨髄や頭蓋骨を割った脳」と先述したが,ランガムによればそうしていたのはアウストラロピテクスではなく200万年前のホモ・ハビリスという.

どちらの主張が妥当なのかの判定は専門家に任せよう.

ともかく,ハビリスはすでに石器を用いて肉を切り,さらに石鎚やこぶし大の球をもちいて獲物の肉を叩き「肉を柔らかくすることで,胃のなかにある時間が短くなり,消化の労力が減って,その分のエネルギーを脳にまわすことができた」([2], p.119)のかもしれない.肉の加工の嚆矢である.

料理の起源はホモ・エレクトスかホモ・ハイデルベルゲンシスか

肉の加工は料理にとってはまだ下ごしらえであり,料理は肉の加工もしくは他の食物に火を用いたことから始まると言っていいだろう.

少なくとも25万年前,ネアンデルタール人が火を使用し料理をしていたことは確かだが,200万年前に火を使用し手料理していたかどうか考古学的証拠はないという([2], pp.85-90).

だが,食べものと動物の体には密接な関係がある.だから「私たちの祖先の進化に,別種と見なされるほどすばやく大きな変化が起きた時期は三つ(中略),ホモ・エレクトス(180万年前),ホモ・ハイデルベルゲンシス(80万年前),そしてホモ・サピエンス(20万年前)が登場した時期だ.そのどれかで料理が定着したと考えるのが筋が通っている」([2], p.97)というアイデアには賛成だ.

では,ホモ・エレクトスとホモ・ハイデルベルゲンシスのどちらで"料理"が始まったのだろう?

ランガムは前者と考える.なぜなら,ホモ・ハビリスからホモ・エレクトスへの変化のほうが劇的だからだ.

ハビリスとエレクトスの違いはこうだ([2], p.99).
・臼歯の小型化
・体サイズの増大
・胸郭・骨盤の狭隘化
・脳容量の増大(42%)
・アフリカから生活域を拡大

臼歯の小型化はより小さなもの・柔らかいものへの食性の変化を示す.
体サイズの増大は木登り能力の低下を示す.
胸郭・骨盤の狭隘化は消化器官の小型化を示す.
脳容量の増大は消化器官の小型化によって生じた余剰エネルギーの賜かもしれない.
そして生活域の拡大は,長年慣れ親しんだ食物レパートリーからの脱却および新規レパートリーの開発が欠かせない.生ものへの依存ばかりでは不可能だろう.

一方,エレクトスからハイデルベルグの違いは脳容量が30%アップしたことと,額が高くなり顔が平たくなったことにすぎない([2],p.98).ハビリスからエレクトスへの変化よりはどうみても小さい.

つまり,ホモ・エレクトスの時代に獲得した形質が現代の我々に至る間により洗練されたと見るのが妥当なのかもしれない.

おわりに:料理だけが進化の原動力か?

ヒトbrain sizeの増大に関する仮説は紹介したもの以外にも提唱されている.例えばマキャベリ的知能仮説を聞いたことがある方はいるだろう.しかしながら生態学的要因について検討されてない仮説の説得力は今一つと言わざるを得ない.

一方,料理のみにてbrain sizeが増大したとも思えない.

brain size増大のスタートは遺伝子の変異にあるはずだ(DNAと遺伝子について知りたい方は一連の拙エントリーをお読みください).その遺伝子を持つ個体は生存・繁殖に有利であり,やがて集団中に広まったと考えられる(自然選択).

こう書くと簡単そうに思えるが,子を残すには繁殖というオス・メス間の交渉に加え,メスを巡るオス同士(あるいはオスを巡るメス同士)の競合や葛藤,さらには集団の形成・維持あるいは拡大などなど自分が生き残ること(それだけでも大変なのに)以外に解決しなければならないことが山積みだったはずだ.

したがって,①brain size増大を可能にする生態学的シナリオと,②知を操る器官の容量増大がヒトとヒトの間に何をもたらし何を解決したのかいう社会学的シナリオはヒトの進化を明らかにする車の両輪だろう.

ダンバー,ランガム両者の著書からこのエントリーで紹介したのはごく一部にすぎない.気になる方は彼らの著書をぜひ手にとって欲しい.

 



参考書籍

[1]『人類進化の謎を解き明かす』ロビン・ダンバー著,鍛原多恵子訳,インターシフト,2016年
[2]『火の賜 ヒトは料理で進化した』リチャード・ランガム著,依田卓巳訳,NTT出版,2010年
[3]『サル学なんでも小事典』京都大学霊長類研究所編,講談社ブルーバックス,1992年
[4]『サルの食卓 採食生態学入門』中川尚史著,平凡社自然叢書23,1994年
[5]『進化しすぎた日本人』杉山幸丸著,中公新書ラクレ,2005年
[6]『ヒトは食べられて進化した』ドナ・ハート,ロバート・W・サスマン著,伊藤伸子訳,化学同人,2007年
[7]『食べる速さの生態学』中川尚史著,平凡社生態学ライブラリー4,1999年
[8]『動物の「食」に学ぶ』西田利貞著,女子栄養大学出版部,2001年

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